成長と価値観の変化

「自分を変えたい」って思った時に、

じゃあどうしたら変わるんだって思うけれども、

だいたい今までを振り返って思うのは

「あの時、これはこういうものだと思ってたけど、実はこうだったんだな。見えてなかったな。」

という風に、見方が変わること。

ジャイアンにも良いところがある、みたいな、

バイキンマンにも良いところがある、みたいな。

「あ、俺、大人になったかもしれん」みたいな瞬間。

同じものをみてるのに、感じ方が変わること。

そんな体験をして、

「あっ、自分って成長したな」って思う。

だから結局、「成長」っていうのは、

「見方が変わること」なんだろうなと思っている。

つまりは価値観の変化。

35年生きた人間の価値観を大きくは変える事なんてできないかもしれないけど、

ちょっとした価値観の変化を、私たちは成長と呼ぶのかもしれない。

このブログで何を言いたいかというと

もし、そうだったら、価値観のちょっとした変化を成長と呼ぶのなら、

同じ価値観、考え方の中にはきっと成長はないということ。

だからこそ、今の自分の価値観が肯定しにくいような行為、

今までの考え方ではちょっとおかしいんじゃないかってところを

攻めていかないと成長はないんじゃないかっていうこと。

最近、図書館が好きで(なんてたって無料)、

県の図書館だったり大学の図書館だったりで、

いろんな本を借りているけど、「これはコーチとして意味ある本か?」とか

「これは大学院生としてふさわしい本か?」ということをできるだけ考えないようにした。

「意味がある」とか「これに役に立つ」という考え方は、

それこそ現在の価値観であって、それを変えなきゃ未来の成長はないのに、

意味とか、効率とか、そういうのばっかり縛られたら、結局今の自分の延長線上を埋めるだけ、

つまんない自分になってしまうように思う。

コーチなのに、院生なのに、二児の父なのに、なぜか興味を持つ本、好奇心をそそられる本、

そういった本を読んで、

「それが何になるかわからないけど、とりあえずめっちゃ読みたい」

そんな気持ちを大事にしていきたいと思った。

もう35歳になると、そして2児の父になると、

「ああ、もう人生半分すぎたな」とか「稼がねば」とか思わざるを得ないから、

意味あるかわかんないことに時間を割くことにだいぶ罪悪感があるけれど、

それでも興味を抱くのだから、そんな自分の直観、好奇心を信じて、

「意味あるか」「役に立つか」という

ある意味正解で、ある意味非常につまらない自問自答を

できるだけしないように、この2023年をやっていきたいと思っています。

価値観が変わるというのは、

無意味だと思ってたものが、実は意味があったんだと思いなおすこと。

かといって無意味だと思う本を積極的に読むことなんてできないから、

意味は感じないけど、なぜか好奇心をそそられる本、興味がある本を中心に、

勉強して、「いつか」「なにか」がくることを信じて、

貸出というこの偉大な無料サービスを活用しています。

皆さんもぜひ。

ローイングや、ランニング、スイミングなど持久力運動は、

結構きついし、休んだらゼロに戻るみたいな割と残酷なスポーツだけど、

読書は20ページ読んだら20ページ進むのです。

こんな素晴らしい活動はほかにないように思えるくらい、

読書は生きた証を残してくれるような気がしています。

皆さんもぜひ。

それでは、ごきげんよう。

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