いいねの中毒

最初は、

ただただ「自分が定めた目標を達成したい」、

達成して、ただただ自分で喜びたい、

そんな気持ちで、スポーツを始めた。

いろんなスポーツをやって、

ボートだけ上手くいって、

大会で優勝したり、五輪に出場できたりした時、

つまりは自分の目標を達成した時に、

すごく嬉しかっただけでなく、

たくさんの人から高い評価をもらった。

認められるなんて経験、ほとんどないから、

それがすごく嬉しかった。

 

人から認められることの嬉しさ、

自分が定めた目標を達成した時の満足感以上に、

それは麻薬的な快感だったように思う。

 

「麻薬的」と書いたのは、

おそらくそれは、一度他人の評価に快感を持ってしまうと、

その快感を求めることが今後の中心になってしまって、

他人の評価を求めることを辞められなくなってしまうから。

 

自分で定めた目標を達成したい、

ただそれだけの人生を生きていた自分が、

他人の評価をもらって酔っちゃってからは、

味をしめちゃってからは、

「より誰かに認め『られる』ために」という

受け身の人生を生きてしまうように思う。

 

もっと高い目標を達成したい、

ではなく、

もっと人に認められたい、

と思うようになってしまう。

なってしまっていた。

そんな気がした。

 

他人から認められるために、

何かをするという動機も、

きっと大きな動機だろう。

だけど、

それは「一番目」にはきっとならない。

自分の人生は、一体誰のための人生なのか。

誰かに褒めてもらうため、認めてもらうための人生というのは、

その誰かの下で、生きているように思えてならない。

 

なりたい自分になる。

そのために努力する。

そこに人の評価があったらそれはそれですごく嬉しいのだけど、

他人の評価というコントロールできないものを

自分の人生の軸にするのは、

別の誰かになりそうで、

怖いな、と思いました。

 

 

今母校の学生をコーチしてるけど、

基本学生は才能の塊、できないのは自分の指導のせいだと思っているので、

褒めることしか基本してないのだけど、

もし私みたいな人間から褒められることを目指して選手が頑張ってたら

それは申し訳ないなと思う。

 

私達は、私達の人生を強く生きればそれでいい。

それを通じて、

誰かが助かったり、

誰かが感謝してくれたり、

そんなことが起きれば、すごく嬉しいしやり甲斐があるけど、

それを中心にしないようにしよう。確実に精神的に不安定になる。

自分が、より良い自分になること。

自分にとっての、「初心」を

思い出した、そんなようなこの頃、

です。

 

 

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