勉学とスポーツの相乗性

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「体育会の学生の方が人との距離感がわかっている」

とある大学の先生が言っていた。

集団」で行動し、「集団」で結果を共有するからかなあと思う。

みんなで朝何時に起き、何時に集合し、トレーニングをして、同じ大会に向かって

汗を流す。集団生活の中で、自分が他者とズレているところ、足りてないところ、

反省した方がいいところなどを見つけることができ、結果、

「距離感」という何ともあいまいな、

「今のこの人とは近づかない方がいい」「落ち込んでるから励まそう」とか

そういう、集団的自衛権(まったく言葉の使い方が違うけど)を学んでいくのだと思う。

そして集団を向上させる力を得ていくのだと思う。(だから就活に強いとも言われる?)


それに対して、勉強ではあまり「集団で」行ったり、「集団」で取り組むことは少ない。

研究とか、ゼミとか、そういう場所に限られるように思う。

基本的に勉学は、自分の世界を突き詰めていく修行みたいなもの。

集団生活だけでは身に付きにくい、「自分自身」の能力を高めることができるように思う。

トンガれる力。生き抜く力。(就活に強いというより起業に強い?)


あまりに集団生活が過ぎると、みんなが同じ発想、同じ考えを持ってしまい、

集団として息詰まる。向上しにくくなる、つまらなくなる。

だからこそ、トレーニング以外の時間にそれぞれ興味ある分野へ勉学を勤しんでもらったほうが、

持続可能な尖がり集団が形成されるのではないか。

多種多様な人材の掛け合わせが、最適な集団の一つの条件なら、

同じ練習、同じ生活をするだけでは、絶対に到達できない。

排他的なチームは強くならないし、かといって、バラバラなチームも強くならない難しさ。


ローイングと勉学を両立させるのは非常に大変だ。

ローイング自体が持久系のスポーツでキツイこと、拘束時間が長い事、

疲労感の強いスポーツであること。

その状態から、さあ勉強しましょうというのは中々につらい。

とはいえ、

スポーツもできて、勉強もできるというレアな人材に対する羨望の目は尽きないのは、

みんな同じだと思う。


冬が始まる。

朝寒い中ボートを漕ぐことに何の意味があるのか。

大学で勉強することに何の意味があるのか。

天下のOxford大学のボート部員に

「どうしたらそんなに文武両道出来るんだ?」ときいたら

「Caffeineだ」と本当か嘘かわからない答えが返ってきた。

オックスフォードなりケンブリッジなり、

ハーバード、スタンフォード、

そこから五輪メダリストが何十人も出ているという日本では考えられない異常さ。

「日本デ1番、キツイコトヲシテイル」

だけでも十二分に価値がある。尊敬に値する。

朝、日の出前からボートを必死に漕いで、大学で異常に勉強してたら、

その姿はそうしたメダリストと変わらない大学生活を送っていることになる。

また今年も冬が始まる。

より多くの大学ボート部員が、

この冬を乗り越えられることを遠くから祈っています。

以上



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