コーチ。

brown field and blue sky 未分類
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コーチをしていると、

「自分の話を100%信じてほしい」

という気持ちと

「自分の話を疑ってほしい」

という気持ちが交錯して、

良くないとは思いつつも、

前者の「信じてほしい」という気持ちが勝ってしまう時がある。

多分正解は、議論して、より良い状況になること。

スロベニアで好きだった場所

「信じてほしい」が勝つことを「良くない」と思うのは、

そもそも自分の言うことは100%正解じゃないし、

選手の側から言っても、

山の登り方は十人十色、百人百様だと思うし、

結局より良い選手になるためには自分の頭で考えて自分の足で登るしかないと思うから。

コーチの話は聞いて、納得いかないところは議論する、これが一番いいと思っている。

だからそれができる様な環境、関係であった方がいいんだけど、

いざ、コーチの側になってみると、

選手が良い意味で疑ってくれたとしても、

なんか信頼されてない気がして、

どうしても自分が思う行動を100%選手に求めてしまう。

一番いいのは、議論してお互い議論する前より理解が深まった状態で

トレーニングに向かうのが理想なんだと思う。

「疑う」ってこと自体、

自分と相手がいたからできたことだから、

それはそれで良い仕事をしたのだろうけど、

もう一歩進めない、そういう発想になかなかなれない時がある。

まだまだだなあと思う。

・・

話は少し変わって(後ほど戻ってきます)

自分が親になって3年経ったけど、

正直親として教えられることって、結構少ない様に思う。

自分自身、外で学ぶことの方が多かったし、

親の立場からすると、子供が外で何を学んでくるかなんて

コントロールしようもない。

見知らぬ何千人何万人と出会い、どんな影響を受けるかわからない中で、

できることといえば、

起きた出来事を、うまい具合に解釈する、

前向きに捉える、次に繋げる、さっさと忘れる、みたいな、

処理の仕方を教えるぐらいの様に思う。

どんどん外へ行って、聞いて見て、

良い感じに学んで処理してくれればそれで良いし、

誰と会うべきか、どこに行くべきかなんて

本人が決めるべきことだと思ってる。

ただどういう考えで、その結論に至ったかは少し知りたい。

・・

コーチをしていると、

最初に言ったような「自分の話を信じてほしい」

という気持ちが強くなるけど、

自分の子供ですらないし、

相手にしてるのはすでに大学生という大人だし、

見聞きしたものをどう処理するかは、もう分かってるだろうから

誰の話を聞こうが、

誰のユーチューブを見ようが、

自分で考えて模索して、コーチと議論して、行動してくれれば

それで良いと思う。

お互い納得できれば、の話。

目の前のコーチを100%信用して自分で考えなくなるのは怖いし、

目の前のコーチを100%不信に思って何も耳を貸さないのだったら一緒にいる意味がない。

信じてほしいけど、信じてほしくない、

ただただ議論して、よりお互いの理解を深めたい、

そのために人間としては完璧に信頼してる、されている

そんな微妙な関係でいたい。

そのためにも、議論するのが楽しいと思えるような感じで話せるのがいい。

「あのコーチにいちいち許可をとるのが面倒臭い」ってなると、こっちもいやだ。

「なんか変な考え見つけた。あの人は何て言うだろうワクワク」みたいな感じになりたい。

疑って行動して学ぶのが、大学生以降の本質だと思うので、

教祖にはなろうとは思わないし(そもそもなれない)

信者を増やそうとも思わない。(そもそも増えない)

そもそも議論できるだけの理論、考えを、

ユーモアを

もっと持たなきゃ、学ばなきゃいけないんだけど。

・・

選手としては、誰を信じるか、って考えてる時点で負けなんです。

大きな山を登るために、どれだけ自分を信じるか、

いろんな情報を取捨選択して理解を深めて、

いかに自分の足で突き進むか、だと思います。

誰かに頼っていいけど、決めるのは自分。歩くのは自分。

B’zのBrotherhoodみたいだ。

we’ll be alright.

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