一万円を落としたら、

一万円を落としたら、

すごく悲しい。

それは

「1万円を落とした」から悲しいのではなく、

落としたものが、無くしたものが自分にとって大事なものだったからだ。

 

億万長者の方には、「一万円の悲しさ」は共感されないかもしれない。

同じ自分でさえ、

それがもし宝くじで10億当たった帰り道だったら、

途中で1万円を落としても、おそらくは10万円すら落としても、

そんなに傷つかないだろう。むしろ笑顔かもしれない。

 

逆に、10億円当たった宝くじ券を道中で紛失してしまった場合、

それ以降、何度財布を落とそうが何も悲しくならない自分に出会えるかもしれない。

 

 

 

インターハイが無くなって、

いろんな行事が無くなって、

それを悲しく思うのは、

それに対してそれだけの想いをかけている自分がいたから。

純粋に行事が無くなって悲しいんじゃない、

自分自身が、その行事に向けて、

期待し、ワクワクし、一生懸命汗を流したからだ。

 

だから、絶望的な気持ちになればなるほど、

大事にしてたってこと。

頑張っていたということ。

「それぐらいいいじゃないか」「また次がある」

と誰かに言われて、カチンとくるのは

それだけ自分が賭けていたから。

 

 

 

高校生の時の私にとっては、

インターハイに出るなんて夢のまた夢だった。

当時テニス部だった私は、

市の大会で1回勝てばそれだけで嬉しいぐらいの雑魚キャラだった。

県の代表になるとか、

市の代表になるとか、

そもそも学校の部活内でレギュラーにすらなれないのに、

インターハイとかもうきらびやかな響きでしか無かった。

 

だから、そんな当時の自分に、現代のニュース「インターハイ中止」を聞かされても、

おそらく何の悲しみも抱かなかっただろう。

あまりにも遠く、あまりにもかけ離れていて、

確かに毎日練習はしていたが、一生懸命努力はしていたが、

本当にインターハイを目指している学生に比べれば、何も思わないに等しかったと思う。

 

 

何が言いたいのかというと、

あなたが今感じている感情は、

他の人には感じることができない感情だということ。

悲しい出来事があって、

嬉しい出来事があって、

そんなに悲しむのは、

そんなに喜ぶのは、

あなたがそれだけ、それに対して頑張っていたこと、

一生懸命だったということ、夢中だったということ、

大好きだったということ。

自分にしか感じることのできない感情というのは、

宝物だ。

 

感情的な人を毛嫌いする世の中かもしれない。

だけど感情ほど自分を教えてくれるものはない。

「なんでそれにそんなに喜ぶのか」

「なんでそれにそんなに悲しむのか」

それはその人にその人なりの過去が、現在があるから。

 

感情。

数値化されることもなければ、

決して歴史には残ることもない、

自分の記憶にしか残らないもの。だけど、

きっと自分を自分として証明してくれるもの。

感情を燃やせる次の日がくることを、願っています。

 

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