人の為と書いて偽りの理由


「人の為と書いて偽り」と読むのは、

 

それは結局自分の為になるからだと思う。

 

 

「情けは人の為ならず」

というように

 

結局巡り巡って自分のためになる。

 

 

そう思えば、別に誰かの為に何かしたことで

見返りを求めたり、見返りがないことにイライラしなくてすむ。

 

結局自分のためだから。

 

 

人を助けたい!

誰かの役に立ちたい!

と思ってブログ始めたりなんだりしてるのも

 

結局誰かの役に立つことで

自分の価値を知りたいという自分のためなんだろうなって思う。

 

結局自分のため。

 

 

人の為になることほど

自分のためになることはなくて、

 

自分のためにしかならないことほど

自分のためにならないんだろうなって思う。

 

自己中心的な人は

自分のことしか考えず自分のためにならないけど

 

究極の自己中は

自分を究極に思うからこそ他人のことしかか考えないんだろうなって思う。

 

合理的という嘘と

非合理的という真実。

 

 

一回も売買しなかった人が一番株で儲けてるってどこかで聞いたけど、

 

見返りが300年後ぐらいにくるような親切ができれば

人間として豊かになるのかな。

 

 

見返りの早期請求は

株の短期売買みたいな最も損するやり方と同じかもしれない。

 

「努力」も

すればするほど見返りを求めてしまう。

「頑張ったんだから!」って。

 

好きだからやっている。それでいいし、

 

見返りがないってことは、300年後に大きく来るかもしれないってこと。

 

そんな大きなスパンで物事を考えられたらいいなあ。

 

「300年後に返してくれればいいよ!」

 

っていう下心満載で親切できるようになりたい。

 

 

(代表である時点で借りが多すぎるので、借りは即返せるように頑張ります)

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