好きな言葉に
強くなければ生きていけない。
優しくなければ生きる資格がない。
という言葉があって、
これはどんな疲労感にも耐え、不思議と起きれた数少ない大学の講義で、教わった言葉だ。
この言葉を中野的な翻訳でいくと、
1人で生きていける強さを得なさい。
得たら、2人、3人と助けられる強さを得なさい。そして助けなさい。それが生きがいになる。
そういう意味なんじゃないかと思っている。
強くなれば生きられるけど
でもあなた、誰か助けんと生きる価値ないよ。
そういう意味だと思う。
私はボート選手だ。
だからお医者さんのように直接人の命を救ったり
痛みを無くす事もできない。
パイロットのように
「ハワイに行くのが夢だったんです」
みたいな人の夢を叶えてあげることも
カルディストアのように
日本にいながら西洋の美味しい食材を購入できたり
人の生活を便利にすることもできない。
速く走れたり
船を速く漕げるようになっても
誰かの命が救われたり、便利になることはない。
じゃあスポーツに価値はないのか?
スポーツ選手が生きる資格、助けられる人はいないのか?
卒業して、社会人となり、スポーツ選手としてどう生きるか考えた結果が以下になります。
スポーツは物理的に人を救命することはできないけど
精神的に救命することはできるんじゃないか?
「死んだように生きている人」を「イキイキと生きている人」へ変換するお手伝いができるのではないか。
「何をしてもだめだ!!」から
「俺も何かやってみようかな!」という
「生き始め」のきっかけ作りにはなるんじゃないか?
「生きるきっかけ」の製造係がスポーツ選手なのかな、と。
そう思っています。
生きれば生きるほど、誰もが腰が重くなる。
「どうせ無理でしょ、前ダメだったし」みたいな自己否定が、新しい行動、新しい経験を拒ませ、
「昔は元気だったなあ」と小学生を見ながら思う。
そんな人を1人でも元気に、
子供がみんな「最近の大人はみんな元気だ」
って思うような、元気作り、「俺もやってみよう」
というきっかけ作り、
そんな製造業がスポーツ選手の仕事なのかもしれない。
だから、100戦100勝の選手もいいけれど(なりたかった!!)
100戦100敗だけど次は勝つと思って頑張っている選手も
生きる価値があるんじゃないか。
できる仕事があるんじゃないか。
イケメンが数少ないように
成功ばかりの人も数少ない。
これだけ負けて、普通諦めるのに
やり続け、勝つ姿。最高じゃないですか。
(それは超ブサイクが超美人と結婚して
世の全ての男性に希望を与えるのと同じだ。)
選手=基本敗者だ。
99.9%負ける世界って素晴らしくひどい。
でも、だからこそ、その世界だからこそ、
「きっかけ」作り製造業として、最高の仕事振りができるんだと思うんです。
スポーツという白と黒しかない世界で
どう生きるか。どう困難に立ち向かうか。
その姿ができるだけ多くの方の何かしらの
「きっかけ」になれば
選手冥利に尽きるんじゃないかと思っている。
たくさんの人に応援されるのが選手じゃない!
たくさんの人を応援するのが選手なんだ!!
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