人の目なんて気にしなくてもいいのだろうけれど、
どうもこう、気にしてしまう。
オリンピックに行って、
そのまま調子良ければ気にならないんだろうけど、
良く漕げない時期が長引けば長引くほど、
「オリンピック選手なのに練習できてない」
とか
「オリンピック選手なのにそれでいいの?」
とか
心の声が、想像上で聞こえてくる。
自分の人生は自分のものだし、
自分が主人公でいいのだけれど、
「主演:自分」の映画のはずが
「監督:他人」
のように感じられ、
「カットカットカット〜、オリンピック選手役の中野くんダメだよそんなんじゃあ〜」
と言う声をひたすら想像しながら聞き続ける
そんなもどかしい日々を送っていた。自意識過剰か。
先日、メディアの方にお会いする時間があり、
「メディアも悪いんだけど、みんな同じ質問をして、
アスリートに同じように答えさせてしまって、
みんな違うアスリートなはずなのに、
アスリートを一つの同じ型にはめ込めようとしてしまっている」
という話を聞いて、
確かにそうだなと思った。
スポーツは一つの自己表現の場であるはずなのに、
特定の誰かになる事に強要される、
そんなのはおかしい。
一般的にスポーツ選手は、
明るく元気で爽やかで前向きでなければいけないけれど、
残念ながら中野は
明るくはなく大体疲れていて爽やかではないが、どっちかというと百歩譲って一歩前向きな人間だ。
それでもいいやんけ。
選手の多様性、
こんな生き方もあるという道作り、
道路工事、
そんなものを「主演:自分、監督:自分」の映画の中で
できてたらいい。その道のトップになれればそれでいい。
スポーツは自己実現の場。
自己表現の場。
できない役回りばかり気にして、中野紘志を表現することを忘れていた。
山は登ったら降りるものだし、降りたらまた登ればいい。
肩書きは得たら捨てて、新しいものに。
もっと自由に行こう、自由に考えよう。
勝つぞ〜!
2016年度、応援有難うございました!
2017年度も、ニュー中野をどうぞ宜しくお願い致します。
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