東京五輪の代表選考に敗れてから、
競技者を引退して単なる「スポーツ愛好家」になった。
ちょうど「コースタルローイング」という
純粋に「スポーツって楽しいね!!」って感じの種目ができたこともあり、その波に乗っかって生計としてのコーチング業の傍ら、
競技者時代と比べればごく稀にローイングをするという日々を送っている。
コースタルローイングをやってみて思うのは、
「これは競技なのだろうか?」
ということ。
というか、「そもそも『競技』って何?」って思うようになった。
引退して、まだボート漕いでると「中野さん!引退したんじゃないんですか!?」ってなるけど、そもそも「引退」って何?
私たちが思う「競技」や「競技者」は、
・鍛錬
・我慢
・修行僧
・自己犠牲
・勝利至上主義
など、「ザ・競争社会」を連想させ、勝ち抜いた人間こそがベストな人間だと思っている。「引退」=「競争社会からの脱落」、なのでしょうか?
一方で、「スポーツ」というのは、自分のイメージなのだが、もちろん鍛錬や我慢、自己犠牲もするが、
どちらかというと「自分の人生を、みんなの人生を豊かにしたい」というモチベーションが強いように思う。
競争社会で我1人勝ち抜くとかそういう考えじゃなくて、「俺もみんなもハッピーになろうぜ」的な。
今、オリンピックでも、新しい種目が増えてきた。「スケボー」や「クライミング」、「ブレイクダンス」など、どう見ても楽しそうな種目が次々と増えてきている。全然修行僧じゃない。
負けても「負けたら死んだと思え」とか「日の丸の恥」とかそんな雰囲気は全くなく、ただ純粋にできなかったことを悔しがる。
「スケボー」は特にそうで、「ザ・競争社会感」がない。自分へのチャレンジ、みんなでチャレンジ、自分もみんなもハッピー、そんな感じ。
いわゆる日本的な「競技」というよりも「スポーツ」という感じ
何が言いたいのかというと、これから「競技」は無くなっていって「スポーツ」が増えていくんじゃないか。そしてその方がみんなが勝者になれるから楽しいんじゃないか。
コースタルローイングは、競技じゃない。たぶん。
コースタルローイングは、スポーツです。
と言っても、なんだかうまく表現が見つからない。伝わると嬉しい。
もちろん勝つために練習するし、
時間もお金も全部割く。だけど競技じゃない。
たかがスポーツ、されどスポーツの世界。
私のイメージする「競技」と「スポーツ」の違いがみんなに伝わると良いんだけど。人生の単なる一分野なんですよ。されど大事な一分野。
馬鹿にされたらムッとくるけど、持ち上げられたら瞬時にやめてくださいと言いたくなる感じ。
ちなみに、今までのローイングという競技も、海外の欧米の選手からするとスポーツって感じがする。アジアの国の方が競技感が強い気がする。
スポーツ国は、金メダルを獲っても、それは凄いね!ってなるだけで聖人君主のように崇め奉られない気がする。それはそれ、これはこれ、の世界。とは言えリスペクトはされる。謎。(※個人のイメージです)
競技の国は、万能の神のように扱われるような気がする(気のせいか)。とはいえ他分野でリスペクトはされない。謎。(※個人のイメージです)
「スポーツ」ってのは結構新しい概念なんじゃないかっていう話でした。
終わりに。
毎年何千人単位で、ローイングという競技を卒業される皆さん、ぜひスポーツとしてのローイングを楽しみましょう。苦しい競技生活は終わってもスポーツを楽しむ日々は永遠に続けましょう。
卒業後に日本で漕ぐ場所は中々ありませんが、ローイングエルゴという素晴らしいマシンがあります。ローイングだけじゃなくても日本にはたくさんのスポーツがあります。
ローイングエルゴご購入の際はぜひこちらまで。(中野のブログを見た、と言えば何か良いことがあるかも。)
以上、ローイングエルゴの宣伝でした。
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