講演で話してみたはいいけれど。

(↑結構前の写真)

 

オリンピックに行ってから、

「オリンピックに行った」ということで、小学校や中学校、

高校など、様々な教育機関にお呼びいただき、

「何か話を」ということで、何回か話す機会を頂くことができました。

 

もし自分が先生だったら、

「努力は報われる」とか

「夢を持つことの大事さ」とか、

そういうことを伝えて欲しいと思い、

オリンピック選手や、夢を叶えたような人を呼ぶと思う。

 

だから、だいたい

「夢は叶う」「努力は報われる」、そんなメッセージを

発信してきた、つもり。

 

だけど実際どうなんだろう。

 

オリンピックに出れた人が「努力が報われた」人なら、

オリンピックに出れなかった人は、努力が報われなかった人なのか。

努力は大事とか、諦めなければ必ず夢は叶うとか、

実際、自分が行ったせいで何人も出れなかったのだから、

その人は努力してなかったとか、諦めたから叶わなかったとか、

何一つ、そうは思っていないのに

逆説的にそう言ってるようで、

なんか嫌だなと思い、何か他の言葉ないかなっていつも探してる。


実際、

スポーツができる環境に生まれ、

スポーツを続けられる環境にいなければ、

選手は生まれない。

そして、良いコーチに恵まれない限り、

そして、自分に合った競技に出会わない限り、

いい選手は生まれない。

「生まれる」「恵まれる」「出会う」は「努力」なのだろうか。

 


確かに、努力はした。

確かに、努力はした。

けれども、

そうした「運」たちに恵まれなかったら、

出ることはできなかった。

実際そうなのだ。

もちろん環境のせいにする選手は強くなれないし、

自分で変えていける選手こそ強い選手だと思う。

どんな貧しい国に生まれても金メダリストの選手もいる。

実際、どうなんだ。


 

「感謝の気持ちを大事にする」

というのは、素晴らしい人、物、全てに恵まれた「運」に感謝する、

努力以外のところの幅が非常に大きいことを

ちゃんと認識して、感謝する、

そういう意味なんじゃないかと思う。

 


かといって、

「運」が大事だよ、なんて子供達に言えないし、

「感謝の気持ち」なんて言っても伝わらない気もするし、

本当に努力一筋で道を開いていった人もいるし、

自分みたいな「にわか」は何か努力について語るべきじゃないのかなと

思ったり。


 

剣道の「打って反省、打たれて感謝」

みたいに、

できなかったら自分のせい、

できたら周りのおかげ、

そう言うスタンスを説けばよかったのか。

 

まだまだ、わかんないことが多いなあと思います。

でも、その真理探しにまだまだ頑張ります。

(前回のブログでたくさんメッセージありがとうございます。

また新たな動きが出来次第、ご連絡致します。)

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