コーチと選手と。

Rowing

コーチと選手の関係ってどういう形が一番良いんだろうなって、

いつも思う。自分の過去がそうだったから。


過去、いろんなスポーツをやり、いろんなコーチ、先生と接した。

小6までやっていた水泳のコーチは、

いわゆるスパルタコーチで、コーチが出すメニューをひたすらこなした。

言われたことをただただやるスタイルで、年齢的にもそもそも意見すら思いつかない。

きつい日は本当に憂鬱だった。

その中で、伸びる選手もいて、伸びない私もいて、

それがショックで、嫌で、辞めた。

同じことをして、違う結果が出ることに理解できなかったし、理解したくもなかった。

 

中高はサッカー、テニスをしたが、

顧問の先生はいても指導という指導はなく、

地区予選一回戦負けも普通。誰よりも練習したけれど結果は出なかった。

スパルタの水泳は県で何位、ってところまで行ったけれど、

指導のない中高は、下から何位、結果ゼロ。それもまた嫌だった。

 

高校三年の時に、楽しそうな割に結果が出ているとの噂を聞きつけた陸上部に転部したら、

陸上部のコーチは新しいタイプの先生だった。

陸上部の先生が出すメニューは

「これだけ?」ってぐらいの、メニューだった。

やったらそれはそれできついのだけど、

一日中拘束されるわけでもない、

ちょっと自主トレしたくなるボリュームだった。時間的に余りが必ずでるメニュー。

自分自身、数ヶ月しかいなかったから結果もそれなりだったけれど、

(5000mで16分18秒だったかな、優勝するには15分切らないといけない)

全国大会に出る選手もたくさんいて、すごいなと思った。

 

高3の11月まで部活していたからか、見事浪人し、

合格率が非常に高いという甘い噂を聞きつけた予備校の東大コースに入ったのだけれど、

そこの雰囲気も、授業はやるけど、残りの時間は自分で頑張ってねというスタイル。

空いた時間に宿題をさせることもないし、予習も自由。

それで、8割ぐらい合格したのか?

 


今スロベニアでも、

午前はコーチが指示したメニューをやっているけど、午後は自由だ。

実際自由じゃないのかもしれないが、指定はなく

午後は学生がいっぱいで、そっちが主のようになってる雰囲気なので、

自由にやらせてもらっている。


 

自分の人生の責任者は自分だと思っている。

「自分のケツは自分で拭け」というやつだ。

だから、一日中コーチの言われっぱなし、やりっぱなしは

自分のケツをコーチに拭いてもらおうとしているだけ。

あとでケツがうまく拭けてないと文句を言っても、臭くなるのは自分の体だ。

コーチがうまく拭いてくれたとしても、それはどうなんだろ。

自分のケツは自分で拭けるようになりたい。もう大人だから。

 

かと言って、選手が結果を出すためにはコーチが必要だ。

どんなに選手が卒業して、新しい学生が入部しても

ずっと同じ結果が出続けるのはコーチが同じだからだ。

でも、自分の人生を人に預けるのは何か違う。

弱い選手ほど、指導者が自分を変えてくれると思っている(スロベニアに行くと決めた時の私)

傲慢な選手ほど、自分の力だけで全て変えられると思っている(スロベニアに行く前の独りの時の私)

 

優秀なコーチというのは、

「俺のいうことを聞け、残りの半分は自由にしろ、お前の人生だから」

というスタンスの人間なのかな、と今は思う。

これからも、そうしたコーチと選手の関係性、距離感について研究は続く。

そのためにも、結果出さねばな。

to be continued

 

 

 

 

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